度々「お残しはご遠慮下さい。」と言って嫌がられる当店です。今回はそんな話しを書こうかと。
時は私が6歳の頃でしょうか、さかのぼります。
中々説明しにくいですが、お寺に生まれた人は子供の頃から仏教教育をされます。私の両親は、父は僧侶兼小学校の教師、母がお寺の生まれで、元お寺の保育園で保育士。幼児教育に携わっていた事から中々なモノでした(笑)
とにかく、「何も買え与えない」という方針・・・
私)おもちゃ欲しい・・・
親)作りなさい。それを作る為に何が必要か考えなさい。
プラモデルの場合・・・粘土が必要?
当時流行ったビック○マンシール・・・キラキラ折り紙、油性ペン、名前用シール?
私)おやつ食べたい・・・
親)どんなおやつが食べたいの?それは何で出来ていて、どうやったら出来るかな?
作りなさい。
(見習いたい方・・・イジメられるので注意して下さい)笑
こんな事が毎日毎日・・・
そんなある日、魚釣りしたい!釣り竿欲しい!! と 言う事になりまして、百科事典を引っ張り出し、母に読んでもらい研究・・・
裏の竹藪から、竹竿。裁縫箱から木綿糸。園芸用針金で釣り針。水風船用ミニ風船で浮き。 と、完璧な装備でいざ魚釣りに!!!
ところが、全く釣れません・・・ 懲りずに、その後色々改良をし続け、かれこれ少なくても30回以上改良を続けた後、とうとう 一匹の小さなコイを釣り上げる事に成功しました。
その時の感動は未だに忘れません。
意気揚々とバケツに入れて家に帰って「みてー!!釣れた-!」と。
「嬉しさが爆発して、ここでね・・・餌はね・・・そしたらグッてなって・・・逃げるかなって思ったんだけど・・・」と話しが止まりません。
そんな私に母は一言「良かったねー、で どうするの?」
・・・「育てる!!」やっとの思いで釣り上げた魚、この魚はかわいくて、かわいくて。「友達になれると良いねー」と言われ、すっかりその気な私。
とりあえず水槽は無いので虫用の透明ケースに移し替え、また百科事典を寝る前に読んでもらう。「魚の飼い方・・・」
ところが翌朝、私のコイはあっけなくお腹を上にして、泳ぐ事も無く水面に浮いていました。
急いで両親に報告・・・「友達が、お魚が、死んでる」よほどショックでパニックになり泣きながら一日中犯人捜し、原因探し。勿論犯人などは居ない訳で。昼になり、夜になり。 晩ご飯になっても泣き続け
父「いい加減にしろ、男の子だろ!と叱られ更に泣き続ける。」
そこに出てきたのは、なんと、・・・サンマの塩焼き
いやー 食べたらダメー と叫きお皿を遠ざける私に父の制裁がとぶ。
「命を粗末にするな!」
「大切に、そしてありがとう、と言って喜んでいただく事しか出来ない。」
結局当日はどうしても食べられず、又コイは土を掘って埋め、小さな石ころを置いた。
これをきっかけに、命をいただく事を大切に考え、どうしたら苦手な物を食べれるようになるか?と言う事から、料理に興味もわいた。
最大の失敗は、死んだザリガニを生で食べ、エビアレルギーになってしまった事だろう。
見つかって怒られたが、何がいけないのか?理解出来ない私がそこにいた(笑)
致し方なく、無駄にしてしまう事は多々ある、所詮きれい事を言っていたって出来る訳が無い。 しかし、大切にはしたいと思う気持ちは変わらない。
そうそう、これを書き始めた瞬間に母が来て
「自分の食事に割り箸を使うとは、どういう事ですか!?」と叱られた・・・
「あ、ごめんなさい(汗)植物も友達だった・・・」
顔が???になっている母に「しかし、凄いな さすがだわ。」
と書き始めたコラムの話しをすると
母は「当たり前です、当然です!!」と言ってご満悦で去っていった。
小生、何とも マダマダである 反省。 (苦笑)
最後に、浄土真宗にも食前、食後に言う言葉があるのだが、同じ宗派のお説教の先生と食事を一緒にさせていただいた時「感謝していただきます」「おいしくいただきました、ごちそうさまでした」と食した命に対して、何とも心のこもった合掌を見て、勝手な憧れで現在私はこれを使っている。
合掌